カテゴリに「ゴジラ」を加えておきながら数年間放置とは、隠れ怪獣映画フリークの私としたことが。
さておき、1998年のローランド・エメリッヒ監督による「GODZILLA」から16年、2度目の海外版ゴジラがこの度公開された。
前作は怪獣映画というよりもディザスター・フィルム(パニック映画)だったが、2014年の「GODZILLA」は全体を通して「怪獣映画はこうでなくてはいけない」感が伝わってきて好感が持てた。
デビューして間もないギャレス・エドワーズ監督にゴジラのリスペクトを任せて大丈夫なのかという不安もあったが、ここは自身のゴジラマニアを公言するだけのことはある、日本では絶対作れないレベルのゴジラ映画を完成させている。
1954年の第1作目の「ゴジラ」は、戦後間もない日本が反戦・反核への思いを込めて製作し、同時に「今後発達していくであろう科学への警鐘」を訴えた作品でもあった。
それから60年後、世界はどうなったか。生活は豊かになったがリスクも大きかったことを昨今の日本は痛いほど経験している。
そんな中ゴジラ再リメイクである。これは監督も保守的にならざるを得ないだろう、と思いきや、良い意味で包み隠さず描いてくれた。賛否は分かれるだろうがそれは60年前のゴジラも同じだった。何時の時代も「映画が現実を語って」きたのだ。
なんてカッコつけるのはこれぐらいにして、98年のリメイク第1弾がゴジラ映画と呼ぶには微妙だったのに対し、今回は造形からBGMまで日本へのオマージュが散りばめられていて、ちゃんと怪獣映画になっていることにまず一安心。
変な日本家屋や日本語がヘタな日本人は風物詩みたいなものだし、それは笑って誤魔化せる。
極秘の組織や謎の生命体は、ゴジラの全貌がスクリーンに映し出されるまでの期待を大いに盛り上げてくれる。そしてゴジラ登場!お約束の鳴き声!思わず拍手したくなる(笑)。
意味も無くビルをぶっ壊したりしないし、軍隊に反撃したりしないところは日本のゴジラとちょっと違うが、これは誰がどう見ても「ゴジラ」である。
少し残念だったのは生物としてのゴジラがちっとも怖くないところ(見た目は怖いが)。
怪獣映画なら怪獣同士の戦いが見たいし、人間がちっぽけ過ぎてあまりにも無力、このあたりはしっかりスクリーンで堪能できるが如何せんゴジラが怖くない。これはちと問題。
不気味な生命体の方がよっぽど怖い存在感を放っているため、そこへ生態系のバランスを戻しにやってきたゴジラさん登場ではただの良い人(怪獣)だ。
これならエメリッヒ監督が描いたGODZILLAの方がよっぽど怖かったし、数あるディザスター・フィルムを手掛けてきたスキルは見事なものだった。ゴジラ映画として観なければよく出来ていたし。
まあ、ギャレス監督にそこまでの力量を求めるつもりは無いが、怪獣王ゴジラを今後リスペクトするなら「恐怖映画」を追求してほしい。日本の1954年版はまさにそれだったのだから。
それでも、今までどの映画でも観たことの無い不可思議なストーリー、研究に研究を重ねたであろうゴジラの真髄。監督のこだわりは並大抵のものではない事は十分感じられたから、今後彼の作品は必ず観にいきたい。
彼なら絶対面白い映画を作ってくれるに違いない。
2014年09月14日
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